研究紹介

現代日本の食事情~私たちがおいしくお肉を食べられるのはどうして?~

研究の起点:「食べる」けど「つくらない」

図1:スーパーで販売される銘柄豚の一例

私たちの多くはほぼ毎日、何らかのお肉を食べているはずですし、とくに若い人はお肉が好きな人が多いことでしょう。授業中、好きな食べ物を学生に聞いてみても、「から揚げ!」とか「豚肉の生姜焼き!」といった意見が出てきます。しかし、例えば豚肉の生姜焼きと答えた学生に対して、「生姜焼きおいしいよね。じゃあ、家に何頭くらい豚を飼ってるの?」と続けて聞いてみると、一瞬にして「はっ?」といういささか戸惑いの表情に変わり、しばしの沈黙の後、「いません」という答えが返ってきます。
豚肉を食べるためには、豚が必要だということは誰もが知っています。しかし、多くの人は豚を飼っていません。にもかかわらず、われわれは頻繁に豚肉を食べます(牛肉や鶏肉でも同じです)。では、だれがどこで、どうやって豚を飼ったり、それをお肉にしたりすることで、私たちは豚肉をおいしく食べることができているのでしょうか?
さらに最近では、スーパーのお肉売り場やレストランのメニュー表記で、「〇〇豚」や「△△ポーク」といった、名前の付いた豚肉(「銘柄豚」や「ブランドポーク」と総称されています)が販売・提供されている様子を見ることがしばしばあります(図1)。ロースとかモモといったお肉の部位の区別ではなく、どうしてわざわざ豚に名前を付けるのでしょうか?
こうした普段の食生活への注目をきっかけとして、豚肉の生産から消費までを実地調査する私の研究が始まりました。

研究の特色:「生き物」を「食べ物」とするプロセス

図2:黒豚の飼育現場にて(鹿児島県での農場見学)

現在、日本国内だけで年間およそ1千万頭の豚が出荷されています。これを実現するために、1つの農場には少なくても数百頭、多い場合には数万頭もの豚が飼育されています(図2)。出荷直前には成人男性の1.5倍ほどの体重の豚が相当数、同じ場所にいるのですから、初めてその様子を見たときはただただ驚きでした。豚も生き物ですから、毎日のエサやりや体調のチェック、衛生管理は欠かせません。また、肉質の向上などを目的にエサの原料を工夫している農場も多く、このことが先ほどの「〇〇豚」を名乗る根拠の1つにもなっています。
豚を豚肉にするためには、食肉処理場の存在が必要不可欠です。そこでは極めてスピーディーかつ正確に、豚は生き物から食べ物へと変化を遂げていきます。さらにその後のカット加工を経て、ようやくわれわれが当たり前のように認識しているお肉となります。お肉の生産から消費までを通じて、通常、私たち消費者が目にしているのは、ほんの一場面に過ぎないのです。
また、現在の日本は様々な食べ物を海外から輸入していますが、お肉も例外ではありません。一般的に海外から輸入される商品のほうが安いことから、国内の生産者は何らかの対抗策を講じる必要があります。このことが豚肉の場合、先ほどから書いている「〇〇豚」としての差別化、さらにはブランド化の動きであり、だからこそわざわざ豚に名前を付けて販売する理由にもなっているのです。私たちが普段、豚肉をはじめとするお肉を食べるという行為が実現可能となるためには、お肉を質・量ともに安定的に供給するための仕組みが常に機能していなければなりません。また、日本国内だけでなく、海外との何らかの関係性も確実に存在するのが現代社会です(先ほどの輸入品への対抗策ということ以前に、そもそも畜産業で用いられるエサの原料の大部分は海外からの輸入でまかなわれています)。目の前に普段から存在する光景には、自分自身が知らない様々な場所や人々の働きが関係していることを、研究を通じて具体的に把握することができました。

メッセージ:「当たり前」への注目が「問題解決」の第一歩となる

冒頭の話とも関係するのですが、私たちにとってお肉は非常に身近な存在になっています。その一方で、お肉を作るための畜産業は、逆に大勢の人々にとって疎遠な存在になっています。これには、快適な飼育環境を確保するためであったり、家畜の伝染病発生を防止する(防疫対策)ためであったりといった、様々な理由が存在します。私たちは、お肉、さらには食べ物全般を買って食べる、という行為のみで食生活を成り立たせることができています。このことは非常に便利ですし、少なくとも物質的には豊かな暮らしです。しかしこのことは同時に、目の前にある物事の背景に対する理解や認識を、良くも悪くも薄れさせることにも結びついています(図3)。
食べ物の供給に限らず、現代社会には様々な仕組みが機能しています。同時に、解決されるべき数多くの問題も存在します。しかしこれらもまた、私たち個々人が理解し、意識しているよりもはるかに多くの事物が関係することで成り立っているものです。普段目にすることをただただ当たり前だと思って生活しているだけでは、こうした社会の仕組みや問題の背景に気づくことは困難でしょう。自分自身が関心を持って、かつ実現可能な方法で社会の問題解決に取り組む第一歩として、まずは身の回りにある当たり前に注目し、その背景を探ってみることには、大きな意義があるはずです。

図3:畜産業をめぐる生産者と消費者との社会的・空間的隔たり