研究紹介

日本の農山村における資源管理に関する研究

  • 教員: 渡邉 敬逸
  • 学科:
  • コース: 環境サステナビリティコース
  • キーワード: 農山村、資源、管理、コミュニティ

専門分野とテーマ

私の学問的なバックグラウンドは地理学です。地理学を学ぶことになったのは、昔から地図を眺めるのが好きだった(小学生の頃の誕生日プレゼントは道路地図でした)という単純な理由からです。地理学は地表面のありとあらゆる現象を対象とするため、対象は人間から自然まで、手法は文系的なものから理系的なものまで、非常に裾野が広く、隣接学問との接点も多い学問です。私自身は、対象や手法はともかく、農山村をフィールドにすることが多いので、専門を聞かれた場合は「農山村地理学(Rural Geography)」や「農山村研究(Rural Studies)」としています。以下、これまで10年以上続けている「文化資源の管理に関する研究」と近年力を入れている「無住化集落に関する研究」について紹介します。いずれも農山村における資源管理に関わる研究です。

文化資源の管理に関する研究

新潟県小千谷市の山間部に位置する東山地区では約250年前から「牛の角突き」と呼ばれる闘牛が行われています(写真1)。日本国内では東山地区も含めて数カ所で闘牛が行われていますが、その中でも牛の角突きの特徴は勝敗を決めずに「引き分け」としているところにあります。また、日本古来の動物競技を現在に伝えるものとして、日本の闘牛で唯一の重要無形民俗文化財に指定されています。
重要無形民俗文化財に指定されているような民俗行事は過去から現在まで粛々と行われているとイメージされがちです。しかし、牛の角突きの歴史を紐解くと、約250年の間に幾度もの隆盛と衰退とを繰り返していることが明らかになります。特に明治初期、牛の角突きは近代化にそぐわない因習の根源として禁止されますが、約20年に渡る交渉や根回しの末に、担い手自らが「引き分け」をルール化することにより再開の認可を勝ち取ります。つまり、牛の角突きを明示的に「引き分け」にすることにより(写真2)、賭博や喧嘩沙汰などの勝敗をめぐる悪弊を排除できるだけではなく、牛が傷つくこともないので、牛の角突き自体が壮健な牛を育てる手立てとして畜産振興に一役買う・・・という論理立てをもって、牛の角突きの再開を当局に認めさせたのです。
以降、「引き分け」の例のように、牛の角突きの担い手たちは、様々な局面で畜産・観光・文化財・教育・過疎・災害・動物愛護・行政・政治・学術などの地域内外の時勢に右往左往されつつも、その仕組みやアクターをしたたかに利用したり、時勢に合わせた変化を引き受けたりしながら、現在まで牛の角突きを共同的・自律的に管理してきました。2004年に発生した新潟県中越地震では、東山地区は震源直上に位置していたこともあり壊滅的な被害を受けますが(写真3)、その中でも牛の角突きは続けられました。そればかりか、復興の機運をうまくハンドリングして、震災前から描いていた闘牛場の整備などの青写真を現実のものとしたり、新たな担い手を獲得したりしています。なぜ牛の角突きの担い手たちはここまで懸命に牛の角突きを続けようとするのでしょうか?
それは牛の角突きが東山地区という地域社会において多元的な価値を持つ重要な資源として位置づけられているためにほかありません。こうした牛の角突きの多元的な価値は最初から地域社会に認知されていたわけではなく、様々な時勢と牛の角突きとが結び付けられる中で、地域社会自らが見出してきたものであり、これからも見いだされていくものです。本研究では、東山地区における牛の角突きを事例として、地域社会が共同的・自律的に管理してきた文化資源の多元的な価値を、その資源の管理の仕組みや私自身の地域社会へのアクションリサーチの経験から明らかにすることを目的としています。

無住化集落に関する研究

写真4:無住化集落跡に立つ石碑

日本における条件不利地域対策は、地域振興立法8法に基づくマクロな財政的支援に始まり、近年では学校区や集落レベルのミクロな支援策に重点が移りつつあります。しかし、いずれの対策も条件不利地域における生活基盤の再生や維持を主眼としており、人口減少が行き着く先、すなわち、集落の無住化を視野に入れているものではありません。日本の人口が自然減に入った現在にあって、条件不利地域における集落の無住化はなんら特異な現象ではないと考えられます(写真4)。この点は条件不利地域を対象とする研究においても同様の傾向にあり、集落の無住化を見据えたり、無住化した集落の動向を把握しようとしたりする研究は極めて僅少です。
より正確に言えば、個別の無住化集落を対象とする研究は少なくないですが、複数の市町村や県をまたぐようなメソ・マクロスケールで無住化集落を把握するものが僅少な状況にあります。その理由の一つとして歴史的要因や行政的慣習により「集落」の概念やスケールが市町村間で大きく異なる点が指摘されます。
つまり、アンケート調査から無住化集落を把握しようとしたとしても、ある市町村は個別名称を持つ各居住地を「集落」として認識している一方で、また別の市町村が個別名称を持つ複数の居住地をまとめて「集落」と認識している場合、市町村間で調査スケールが揃わないことになります。また、後者の「集落」の場合、集落を構成する複数の居住地のうち1つで無住化が発生したとしても、集落全体としては無住化していないという判断になります。加えて、無住化集落は行政機構の末端から外れることになりますので、既に無住化している集落を把握することは至難の業になります。
近年、条件不利地域の集落調査の一部として無住化集落の把握が国土交通省と総務省により行われており、1960年から2015年までに全国約2200の集落が無住化したとされています。全国的なパネル調査であるため、その結果は非常に貴重なものでありますが、上記した点を理由の1つとして、その結果には課題があると指摘されており、より細かく見れば無住化集落はもっと多いと推測されています。よって、無住化集落に対して何かしらの政策的アプローチをかける以前に、地方や国レベルでどのくらいの無住化集落がどこに存在するのかという点がいまだ不明瞭であると言わざるをえません。

図1:四国4県における無住化集落の推定分布(2015年)

こうした点を踏まえて、本研究では定住実態を伴わない集落を無住化集落として研究対象に据え、無住化集落の分布を特定し、無住化集落における資源の管理と利用の実態を明らかにすることで、無住化集落を対象とする研究の基礎的枠組みを構築することを目的としています。具体的には四国4県全市町村を対象地域、明治期から現在までを対象期間とし、①:無住化集落の分布と発生時期、②:無住化集落の立地環境および無住化直近の集落機能の概況、③:無住化集落における集落資源の管理・利用の実態を,データ分析と現地調査から明らかにします。
特に上記した「集落」をめぐる課題を踏まえて、本研究ではマクロスケールで無住化集落を特定する必要があることから、これまでの無住化集落の特定に係る研究では十分に活用されていない公共的な地理空間データをGIS上で組み合わせることで、マクロスケールでの無住化集落の把握を試みています(図1)。

メッセージ

私が牛の角突きの研究を始めて1年が経った頃、東山地区を震源の1つとする新潟県中越地震が発生しました。発災から2週間が経った頃、関係者への慰問のために避難所をまわりましたが、とある避難所で見慣れた人たちが集まって何やら真剣に話をしています。聞けば「牛をどうする」「角突きはどうする」と。私は勝手に「牛の角突きは休止だろう」と思っていたのですが、彼らは震災により東山地区がドシャメシャに崩壊している現実を前にしてもなお、牛の角突きの継続を考えていたのです。
牛の角突きの関係者はみな震災により家も仕事も失った人ばかりです。中には家族を失った人もいました。震災により心身ともに大きな傷を受け、家も仕事もままならない中で、彼らは「牛の角突きをどうするか」について考えていたのです。このときあらためて彼らにとっての牛の角突きは、趣味と表現されるような軽いものではなく、家・仕事・家族と同等に語られる生活の一部であることを思い知らされました。
喧嘩腰に近い彼らの議論を前にしながら、彼らをここまで没入させる牛の角突きとは何なのか、そして、牛の角突きを支える担い手たちは一体何者なのか、牛の角突きとこれを支える人々のことをもっともっと知りたい、と感じたことを昨日の事のように覚えています。フィールドワークをしていると、こうした胸が熱くなる瞬間に立ち会うことが少なくありません。みなさんも、外に出て、生の社会にもっと触れ、もっと関わってください。そこには、あなたの人生を変えるような心が沸騰する出来事があるかもしれません。